歴史は繰り返す、と言われていますが、はるか昔に日本で起きた事件とよく似たことが日本国外で起きました。それはどこの国でしょうか?

今回は672年に日本で起きた大クーデター「壬申の乱」を詳しく、楽しく見ていきましょう。
645年大化の改新、663年白村江の戦いの後、中大兄皇子は、飛鳥(奈良県)から近江(滋賀県)の大津に遷都(せんと)し、天智(てんじ)天皇(正式には大王「おおきみ」)となりました。
671年病床にあった天皇は弟の大海人皇子を呼び、天皇の位を譲ることを伝えます。ところが、大海人皇子はこれを辞退し、即座に髪を切り出家して吉野へ移り住むことにしました。

なぜ、天皇になって欲しいと頼まれているのにもかかわらず、大海人皇子は天皇になるのを断って、遠く離れたところに身を置いたのでしょうか?
当時では、天皇の跡継ぎは同母兄弟で皇位を継承することが慣例となっていました。ところが、天智天皇には子である大友皇子がいました。彼が成長するにつれて、天皇は彼を次の天皇にさせたくなり、父子直系相続を考えるようになりました。それにつれて大海人皇子が疎んじられるようになってきたのです。と同時に、大海人皇子は身の危険を感じるようになってきました。彼は武器を朝廷に返し、出家して、わずかの家来を連れて家族ともども大津京を去ったのです。
大海人皇子の予想した通り、大津京から飛鳥にかけて朝廷の見張りが置かれ、さらに、吉野への食糧を運ぶ道も閉ざされそうになってきました。より安全な地に身を移すために、吉野から美濃への脱出を決行し、吉野を出て伊賀へ、伊賀から伊勢の桑名へ、どうにかたどり着くのです。

672年7月2日、大海人皇子の子高市皇子(たけちのみこ)19歳を総大将に、東国からの兵数万が集結して大津京に向かって出陣しました。7月22日瀬田唐橋(せたからはし)で最後の決戦が起こりました。大友軍は破れ山前(やまさき)-長等山へ敗走します。7月23日、大友皇子はここで大津京を眼下に見て自害しました。25歳でした。

皆さん、少し前に「壬申の乱」とよく似た事件が起きましたね。もう分かりましたよね。
北朝鮮で、父金正日(キムジョンイル)の後継者になった金正恩(キムジョンウン)は、兄のスキをとらえて兄金正男(キムジョンナム)を海外で殺害しましたね。同じような事件に思えませんか。
(水間)